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熊本地方裁判所 昭和57年(ワ)1068号 判決

原告

有限会社笠原工業

被告

岡村定治

主文

一  本件訴を却下する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

(主位的請求)

1 被告は原告に対し金二一三万三五五九円及び内金一九四万三五五九円に対する昭和五五年二月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 仮執行宣言

(予備的請求)

1 被告は原告に対し金一六〇万三二七六円及びこれに対する昭和五五年二月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(本案前の答弁)

主文同旨

(本案に対する答弁)

1 原告の請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  昭和五一年四月二〇日午後六時三〇分ころ、熊本市上南部町スポーツセンター先十字路交差点において、被告運転の自動二輪車と原告保有にかかり、その従業員である井添久雄運転の普通乗用自動車が衡突する交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。被告は右脛骨下端開放性骨折等の傷害を負い治療を受けたが、自賠法施行令別表に定める後遺障害等級一〇級該当の右足関節の機能障害の後遺障害が残つた。

2(一)  被告は、原告を相手方として、右事故に基づく損害賠償請求の訴を提起した(熊本地方裁判所昭和五二年(ワ)第二三〇号事件)。

(二)  右事件の第一審判決は、昭和五四年九月二五日言渡された。この判決によつて肯認された損害額算定の内容は次のとおりであつた。

(1) 治療費 三九七万六七三九円

イ 古賀外科病院分 一九一万八〇〇〇円

昭和五一年四月二〇日から同年一〇月二九日まで入院

ロ 熊本理学診療科病院分 二〇五万八七三九円

昭和五一年一〇月三〇日から昭和五二年四月四日まで入院

(2) 逸失利益(後遺障害分を含む) 三二二万五二四〇円

(3) 慰藉料(後遺障害分を含む) 四五〇万円

(4) 入院付添費 一五万六〇〇〇円

(5) 右(1)ないし(4)の合計一一八五万七九七九円から事故発生に関する被告側の過失四割を斟酌後の損害七一一万四七八七円となる。

(6) 既払額 総合計五六四万四〇〇〇円

イ 自賠責保険(後遺障害分を含む) 三四七万円

ロ 原告支払分 合計二一七万四〇〇〇円

(Ⅰ) 古賀外科病院分((1)のイ) 一九一万八〇〇〇円

(Ⅱ) 入院付添費((4)) 一五万六〇〇〇円

(Ⅲ) その他 一〇万円

(7) 弁護士費用 一五万円

(8) 右(5)の過失相殺後の損害七一一万四七八七円から右(6)の既払額合計五六四万四〇〇〇円を控除し、右(7)の弁護士費用一五万円を加算した認容額は一六二万〇七八七円となる。よつて、右判決は原告に対し金一六二万〇七八七円及びこれに対する事故後の昭和五一年四月二一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を命じた。

3(一)  被告は、右判決を不服として控訴申立をした(福岡高等裁判所昭和五四年(ネ)第五七二号)。

(二)  原告は、第一審判決後、病院の未払治療費を調査していたところ、原告の控訴期限を経過した後、意外にも前記熊本理学診療科病院分の治療費二〇五万八七三九円は、金額的に誤つているのみならず、本件事故が被告において集金人として勤務していた西日本ガス機器株式会社関係で通勤災害として取扱われたため、労災保険で全額が賄われ、被告負担の損害とはなつていないこと及び遅くとも第一審口頭弁論終結時以前に被告もこれを了知していたことが判明した。そこで、原告は、附帯控訴を申立てるべく、控訴審において、右に基づく計算の結果を明らかにする準備をしていた。

(三)  ところが、被告は控訴を取下げた。

4  被告は、昭和五四年一一月二七日、前記判決主文記載の金額をもつて、原告の有体動産に対する強制執行に着手した。

5  そこで原告は、昭和五五年二月一八日、執行官に対し、次の合計金一九四万三五五九円を支払わざるを得なかつた。

(一) 判決主文記載の元本 一六二万〇七八七円

(二) 右に対する昭和五一年四月二一日から昭和五五年二月一八日までの年五分の割合による遅延損害金三一万〇六一二円

(三) 執行準備費用 一一五〇円

(四) 執行官費用 一万一〇一〇円

6  被告は、右債務名義となつた判決につき、遅くともその口頭弁論終結時において、本件事故に関する労災保険の適用により前記熊本理学診療科病院分の治療費二〇五万八七三九円が被告の負担とならず、これを自己の負担すべき損害額として主張することは原告及び裁判所を欺罔することにほかならないことを熟知しながら、敢て自己の損害として虚構し、原告及び裁判所をその旨誤信させて、右債務名義を騙取したものである。さらに、被告は、強制執行着手当時、右債務名義中には金額上甚しく多額の誤りがあり、その不当であることを知りながら敢て頬かむりをし、債務名義表示の金額につき強制執行に着手し、その支払を強制して該金額を強取したものである。従つて、被告の右行為は、原告に対する不法行為を構成し、原告は被告に対し金一九四万三五五九円の損害賠償請求権を有するものである。

7  よつて、原告は被告に対し、主位的に右金一九四万三五五九円及び本件弁護士費用一九万円の合計二一三万三五五九円並びにこれから弁護士費用を除く一九四万三五五九円に対する不法行為の後である昭和五五年二月一八日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

8  仮に不法行為を原因とする請求が理由がないとしても、被告は原告に対し、予備的に次のとおり、不当利得金の返還義務がある。

(一) 熊本理学診療科病院分の治療費を除き、

前記判決の認定内容に副つて、被告が訴求し得べき損害を算出すると、総損害九七九万九二四〇円、過失相殺四割後の損害五八七万九五四四円、填補額五六四万四〇〇〇円、控除後の損害二三万五五四四円、弁護士費用相当額四万円加算後の損害二七万五五四四円となる。従つて、原告は被告に対し二七万五五四四円及びこれに対する昭和五一年四月二一日から完済まで年五分の割合による遅延損害金を支払えば足りたものである。そして、原告が前記一九四万三五五九円の支払を余儀なくされた昭和五五年二月一八日の時点で、被告の請求し得べき右元金及び遅延損害金の合計は三二万八一二三円となる。

(二) 原告が昭和五五年二月一八日の時点において、現実に支払を余儀なくされた前記判決主文記載の元本及び遅延損害金の合計は一九三万一三九九円である。

(三) 従つて、被告は右(二)の一九三万一三九九円から右(一)の三二万八一二三円を控除した一六〇万三二七六円を不当に利得していることになる。

(四) よつて、原告は被告に対し、金一六〇万三二七六円の不当利得金及びこれに対する昭和五五年二月一八日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の本案前の抗弁(既判力の抗弁)

本件請求の発生原因は、本件と同一の当事者間で行なわれた前訴(当庁昭和五二年(ワ)第二三〇号損害賠償請求事件)の確定判決(以下「本件確定判決」という。)の既判力にふれる。すなわち原告が問題とする熊本理学診療科病院分の治療費(二〇五万八七三九円)については、本件確定判決によつて原告の支払義務が確定している。そして右の治療費は、本質において前訴における被告(本件原告、以下同じ。)の抗弁事由としての弁済金にほかならない。従つて、前訴の最終口頭弁論期日まで本件原告が右抗弁を提出しなかつた以上、右弁済金が労災保険金という形で支払ずみであつたという事実をもつて弁済金相当額を前訴における原告(本件被告、以下同じ。)の不法行為あるいは不当利得と構成し直して請求することは既判力の遮断効にふれる(大審院昭和一四年三月二九日民集一八巻三七〇頁、最高裁昭和四九年四月二六日民集二八巻三号五〇三頁等参照)。

三  被告の本案前の主張に対する原告の反論

原告は、熊本理学診療科病院の治療費について、それが労災保険によつて賄われ、被告の負担となるべき損害ではないことを知りながら、あたかも自己の負担となるべき損害であるかの如く装つて、原告及び裁判所を欺罔し、かつそのようにして騙取した債務名義表示の金額には多額の不法な部分が含まれていることを熟知しながらあえて強制執行に着手したものである。

従つてこのような場合においては、大審院判例(昭和一五年二月三日民三判、民集一九巻一一〇頁、同年三月二日民三判、新聞四五四九号七頁、同年八月一二日民一判、新聞四六一七号一二頁等)から明らかなとおり、たとえ前訴確定判決が存在しても、不法行為あるいは不当利得を理由とする本件請求は、本件確定判決の既判力によつて遮断されることはない。

よつて本件請求は適法なものである。

四  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2は認める。

2  同3の(一)及び(三)は認め、(二)は争う。

3  同4及び5は認める。

4  同6ないし8は争う。

5  熊本理学診療科病院の治療費については、原告は被告に対して支払わなくても、労災保険法の適用による求償請求に応ずべき義務を負うものであり、被告が労災保険の給付を受けたからといつて、原告の支払義務がなくなるものではないから、原告に損害とか損失とかが発生しているわけではない。

6  本件事故による被告の損害の内容は以下のとおりである。

(一) 受傷、治療経過及び後遺症の残存

(1) 受傷

被告は、本件事故により右脛骨下端開放性骨折、右足関節開放性損傷、右足背部挫創等の傷害を負つた。

(2) 治療経過

そのため被告は、昭和五一年四月二〇日から同年一〇月二九日まで古賀外科病院で、同月三〇日から同五二年四月四日まで熊本理学診療科病院でそれぞれ入院治療を受けた。

(3) 後遺症

被告の傷害は、自賠法施行令別表後遺障害等級一〇級に該当する右足関節の機能障害の後遺障害が残存して昭和五二年四月四日症状が固定した。

(二) 逸失利益 三二二万六四八二円

(1) 休業損害 一〇一万九二四二円

被告は、本件事故当時、熊本市保田窪町所在の西日本ガス機器株式会社の従業員として集金業務を担当していたが、本件事故により昭和五一年四月二一日から同五二年四月四日まで休業を余儀なくされたために、毎月七万八一六四円の給与一一ケ月分と右期間中に受くべき夏季賞与九万一一二〇円(ただし、七万一六八二円は支給済み)及び冬期賞与一四万円の収入を失つた。

(2) 将来の逸失利益 二二〇万七二四〇円

前記後遺障害の労働能力喪失率は二七パーセントであるところ、被告は、昭和五二年三月末当時五八歳で年収一一六万九〇八八円、就労可能年数は九年間であり、年利複式ホフマン式計算法により将来の逸失利益を昭和五一年四月二〇日の時点の価額で算出すると二二〇万七二四〇円となる。

計算式 一一六万九〇八八円(年収)×((七・九四四九(一〇年の年別複式ホフマン係数)-〇・九五二三(一年の年別複式ホフマン係数)))×〇・二七=二二〇万七二四〇円

(三) 慰藉料 四五〇万円

本件事故の態様、本件傷害の部位程度、治療経過及び後遺障害の内容程度等諸般の事情を総合すると被告の慰藉料額は四五〇万円が相当である。

(四) 損害のてん補について

被告は、自賠責保険から三四七万および会社から一〇万円の支払いを受けている。

よつて、被告の前記損害額から右てん補分三五七万円を引くと残損害額は、四一五万六四八二円となる。

(五) 弁護士費用について

本件事案の内容、審理経過、請求額及び認容額に照らすと、原告が被告に対して本件事故による損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は、少なくとも一五万円が相当である。

(六) 結論

よつて、原告は被告に対し、金四三〇万六四八二円及びこれに対する不法行為の日の翌日である昭和五一年四月二一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

(七) 被告は原告から、昭和五五年二月一八日右損害の内金一九四万三五五九円の支払いを受けたものである。

原告は、主位的に右支払い金金額を損害賠償請求金として、予備的に内金一六〇万三二七六円を不当利得金として請求するが、先に述べたとおり正当な損害金であり、原告の主張は理由がなくいずれも失当である。

(八) 仮に本件事故につき、被告にも過失があつたとしても、四割もの過失相殺をするのは妥当でなく、結局右(七)の結論に消長はきたさない。

五  被告の主張(四の5及び6)に対する原告の認否

1  前記四の5の被告の主張は、これを否認する。

被告が労災保険から給付を受けた熊本理学診療科病院分の治療費については、それによつて被告は治療費を自己の負担において支払う必要がなくなり、結局自己の負担とならなかつたのであるから、原告に対し、その分の損害がなお残存しているものとしてこれを二重に請求し得べきものでないことは明白である。

2  前記四の6の本件事故による被告の損害額計算の内容はこれを争う。本件の如く被害者である被告に過失があり(しかもその割合は本件確定判決の四割が相当である。)、過失相殺をなすべき場合の計算方法としては、全く論外であり、しかも原告側で負担支払ずみの古賀外科病院分の治療費や付添費等が全く計算からはずされており、失当といわざるをえない。

第三証拠〔略〕

理由

一  被告の本案前の抗弁について判断する。

1  一般に、民事訴訟においては、判決が形式的に確定した以上、当該紛争は最終的に解決したものとみなすことが制度的に要請される。当事者の責任の下に、紛争が最終的に解決したのに、更にその蒸し返しを認めることは、民事裁判制度の否定につながるからである。既判力の本質について諸説があるのは周知のとおりであるが、既判力とは、訴訟物たる権利・法律関係についての裁判所の判断の不可争性を意味し、後訴の裁判所に対する関係では前訴の判断に矛盾する判断を禁止する効力である。この既判力は、事実審の口頭弁論終結時を基準時として、付与されるものであり、後訴において、前訴確定判決の既判力ある判断を争うために、前訴の基準時までに存した攻撃防禦方法(本件では、帰するところ、弁済が問題となつていることに外ならないから、これを念頭において論じる。従つて、取消や相殺等形成権については除くことにする。)を提出することは許されず、もし当事者がこの禁止に反して右の攻撃防禦方法を提出したとしても、裁判所はその審理に入ることなく排斥しなければならない。しかも、前訴において右攻撃防禦方法の存否についての知・不知、それを提出しなかつたことについての過失の有無等は一切関係ないのである。このような既判力の作用を遮断効というのであるが、これを認めた法律の趣旨は、前訴において確定された権利関係につき法的安定をはかるにある。そして、この既判力制度の例外として、現行民訴法は、再審の訴えを用意し、これをもつてのみ、右確定判決を取り消し、もつて救済をはかつているにすぎない。既判力制度と再審制度の関係を以上のように理解するのが、現行民訴法の体系と考えられる。

2  本件についてこれをみるに、原告の主張によれば、要するに、原告が前訴において、その最終口頭弁論終結時までに生じていた一部弁済の事実を知らず、それを防禦方法として提出しえなかつたというのであるから、既判力の遮断効に触れ、後訴たる本件訴えにおいてこれを主張することは許されないと解するのが相当である。ただ、原告は、原告が前訴において右事由を主張しえなかつたのは、被告が前訴において原告を騙した結果であり、裁判所もそれに乗じられたのであるから、判決の不当騙取といわざるをえず、このような場合、後訴において損害賠償請求若しくは不当利得返還請求をすることは許される、と主張するので、この当否について更に検討するに、確かに原告の摘示する判例や最高裁第三小法廷昭和四〇年一二月二一日判決(民集一九巻九号二二七〇頁)、同法廷昭和四四年七月八日判決(民集二三巻八号一四〇七頁)は、確定判決の不当取得に基づく損害賠償請求を一般的に可能とする(若しくは可能とするかのような)見解に与するように思われる。

しかしながら、既判力制度と再審制度の関係を前記のように解する以上、前訴確定判決の訴訟物についての判断を否定すること(これが既判力制度と相いれないことは言うまでもない。)なしに、それと矛盾抵触する後訴における損害賠償請求若しくは不当利得返還請求が肯認されることは、ありうべからざることと思われる。前訴確定判決の既判力を制度として認める以上は、不利益を被つたと主張する当事者に損害もなければ、損失もないこと明らかだからである。このように解した結果生じる具体的妥当性の欠如は、再審制度を利用し、前訴確定判決の取消しを得る方法が別途用意され、それを選択する方法がとられるべきであつて、再審制度を利用する方法がないこと、若しくはそれを利用することが著しく困難であつて、再審制度を利用することなく既判力制度の排除を認めないと是認し難い不正義がまかり通り、法の究極の否定につながりかねない等の特段の事情がない限り、安易に既判力制度を否定することは許されるべきではない。

従つて、前記大審院、最高裁判決が確定判決の不当取得に基づく損害賠償請求を一般的に可能とする(若しくは可能とするかのような)説示をしているのには、やや疑問があると言わざるをえない。ただ、前掲昭和四四年七月八日判決は、当該事例において既判力制度を後退させた判決として肯認しうるにすぎないと解すべきところ、本件事例は原告の主張によつても、事案を異にすること明らかであり、右判決の趣旨に副つて、既判力制度を後退させるべき事案とは到底解し難い。

二  してみれば、原告の本件請求は前訴の既判力に触れる不適法なものであるから、被告の本案前の抗弁は理由があるといわざるをえない。よつて、本件訴えを却下することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 簑田孝行)

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